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ギャンブル依存症からの回復:ある当事者の物語

序章:自己紹介

はじめまして。私は渡辺(仮名)、40代の会社員です。かつて深刻なギャンブル依存症に陥り、家庭も仕事も失いかけました。しかし今、借金を完済しギャンブルを絶ってから3年が経ち、平穏な日々を取り戻しています。同じように「自分も克服したい」と願う方々の力に少しでもなれればと思い、私の体験談を綴ることにしました。

ギャンブル依存症という言葉は最近になってようやく知られるようになってきましたが、実際にどんな人が苦しみ、どう回復していくのかを知る機会はまだ少ないのが現状です 。一見すると普通に生活しているように見える人でも、その身近にギャンブル問題を抱えている場合があります。事実、2021年の厚生労働省の全国調査では、日本の成人の約2.2%(男性で約3.7%)がギャンブル依存症(ギャンブル障害)に該当すると報告されています 。成人の 約50人に1人、人数にして約220万人にも上る計算です。私もその一人でした。

本記事では、一人のギャンブル依存症経験者として、どのように依存に陥り、どん底を経験し、そしていかに回復への道を歩んだのかをお話しします。依存が深刻化していた頃の赤裸々な体験、そこから抜け出すきっかけや具体的に取り組んだ回復行動、途中で味わったスリップ(再ギャンブル)の苦しみと乗り越え方、社会復帰までのプロセス、そして現在の生活と心境について、私の実体験にもとづき、身バレ防止のため創作も取り入れながら語ります。最後に、同じ悩みを持つ読者の方へのメッセージもお伝えします。

どうかこの物語が、ギャンブル依存に苦しむご本人やご家族にとって、希望と具体的なヒントとなりますように。

依存症に陥った経緯

私がギャンブルと出会ったのは大学生の頃でした。友人に誘われて行ったパチンコが最初です。千円札を数枚入れただけで何の知識もなく始めたのですが、たまたまその日は運良く大当たりを引き、アルバイトで得る数日分の給料に匹敵する金額を手にしました。「なんて簡単にお金が増えるんだ!」——その時の興奮は今でも覚えています。小さな箱いっぱいに積まれた玉の山を前に、胸が震えるような快感を覚えました。実はこの「最初の大勝ち」こそが、後に私を泥沼に引きずり込む大きな要因になったのです。

その後、暇さえあれば一人でパチンコ店に通うようになりました。最初は遊び半分だったのが、いつしか「もっと勝ちたい」「取り返したい」という気持ちに取り憑かれていきました。勝てば有頂天になり、負ければ悔しさで頭がいっぱいになって、次こそはと閉店間際まで打ち続ける——そんな日々が増えていきました。負けが込むと「失ったお金はギャンブルで取り返すしかない」という考えに囚われ、借金をしてまで続けてしまうのです。このように負けを取り戻そうと執拗に追いかける行為(いわゆる“チェイシング”)は、ギャンブル依存症者に典型的な心理パターンです。

振り返れば、当時の私はすでに自分で自分のギャンブル行動をコントロールできなくなっていました。頭では「もうやめた方がいい、これ以上やれば自分に不利益だ」と分かっていても、胸の奥から湧き上がるような強烈な「もう一度あの興奮を味わいたい」という渇望に抗えず、またパチンコ店の扉を開けてしまうのです 。ギャンブル依存症とはまさにこのような状態を指します 。飲酒で体を壊しているアルコール依存症の人が「今日だけ一杯だけ」と隠れて酒を飲み、結局やめられないのと同じように、ギャンブルによる借金や家族との不和といった有害な結果が生じていると分かっていてもギャンブルを繰り返してしまう——それが依存症の怖さなのです 。

社会人になり収入が増えると、ギャンブルに使う額も頻度も一層エスカレートしました。給料日には真っ先にパチンコ店や競馬場に向かい、気づけば財布は空っぽ。クレジットカードで現金を借りられることを知ってからは、消費者金融のカードを次々と作りました。最初は数万円だった借金はあっという間に数十万円に膨らみ、毎月複数の金融業者への返済に追われるようになりました。

それでも「次こそ大勝ちして全て返す」という都合の良い幻想を信じていました。実際には負債が増える一方なのに、勝利への渇望で正常な判断力が失われていたのです。今にして思えば、ギャンブルの勝ち負けに脳がすっかり支配され、“勝つ快感”を求めて止められなくなっていました。研究によれば、人間の脳内の報酬系という部分は賭け事での興奮によっても活性化し、繰り返しギャンブルをするうちにその反応が慣れで薄れていくため、より強い刺激(より大きな賭けや勝利)を求めるようになるそうです 。まさに私の脳はその状態に陥っていたのでしょう。

最悪期の体験

借金は増え続け、ついに総額が500万円を超えた頃、私生活にも暗い影が差し始めました。当時私は結婚しており、小さな子どももいましたが、ギャンブルにのめり込むあまり家庭を顧みなくなっていました。仕事が終わると真っ直ぐパチンコ屋へ向かい、帰宅するのは深夜。週末も「仕事だ」と嘘をつき、一日中競馬場や場外馬券売り場に入り浸る始末でした。当然、妻との仲は険悪になり、口論も増えていきました。それでも私は嘘を重ねます。負けてすっからかんになれば「飲み会で使った」などと言い訳し、サラ金から借りた金でごまかす。そんな自転車操業のような嘘と借金にまみれた生活を続けていたのです。

ある日、帰宅すると暗い表情の妻に呼び止められました。「あなたの財布から借金の催促状が出てきたけど、これなに?」——隠し通せると思っていた借金が、ついに露見した瞬間でした。私は青ざめました。観念した私は土下座せんばかりに平謝りし、何とか妻に「今回だけ助けてほしい」とすがりました。妻は泣きながら怒りましたが、最終的には消費者金融数社からの借金約200万円を肩代わりしてくれました。そして「二度とギャンブルはしない」という念書を書かされ、このときは許してもらえたのです。正直、これで借金がゼロになったのを良いことに「リセットされた、また一からやり直せる」と都合よく解釈していました。

しかし、これが間違いでした。依存症の底なしの欲求は理性の誓いをあっさり打ち破ります。一度は懲りても、しばらく経つとまた「今回はバレないように少しだけ…」という悪魔のささやきが聞こえてくるのです。結局、私は約束を破り再びギャンブルに手を出してしまいました。しかも「今度こそ絶対に勝って妻に返そう」と意気込んで高額の賭けにのめり込み、負けが込むとさらに借金を重ねる悪循環…。結局、半年もしないうちに以前にも増して深刻な借金を抱えることになりました。

二度目に借金が発覚したとき、さすがに妻も限界でした。私は泣いて謝り再度の肩代わりを頼みましたが、妻は首を縦に振りません。家庭の貯金も底をつき、これ以上返済する余力もなかったのです。「もうあなたとはやっていけない。出て行って」——そう言われたとき、ようやく私は自分が取り返しのつかないところまで来てしまったことを思い知りました。

荷物をまとめて家を出た私は、安アパートに独り身を移しました。信頼してくれていた最愛の妻と幼い子どもたちを裏切り、自分は何をしているのだろう。愕然としました。しかし、その絶望的な心情にもかかわらず、それでもなお頭の片隅には「もう一発当てて全て丸く収めよう」という誘惑が浮かんでは消えたのです。自分の愚かさに嫌気が差し、そんな考えが浮かぶ自分が怖くもありました。

仕事の面でも状況は最悪でした。当時勤めていた会社では、私は度重なる遅刻や欠勤、さらには勤務中に競馬の投票サイトを閲覧していたことまで問題視され、上司から厳重注意を受けていました。家庭崩壊の直前には依願退職という形で事実上解雇され、収入も途絶えていました。家族も仕事も失い、残ったのは多額の借金と孤独だけ——文字通り奈落の底に突き落とされた気分でした。

追い詰められた私は、ふと「いっそ死んでしまいたい」とまで思いつめるようになりました。借金の督促状が山積みになった部屋で膝を抱え、このまま夜逃げするか命を断つか…そんなことばかり考えていました。しかし、不思議なことに実行には移せませんでした。写真立てに飾った子ども達の笑顔を見るたび、どうしても踏みとどまってしまうのです。「パパ、だいすき!」そう言ってくれた息子の声が頭に蘇り、私は涙が止まりませんでした。

今振り返れば、この絶望のどん底にあった時期が私にとっての「底つき体験」でした。一般に、依存症からの回復には「底つき(どん底を経験すること)」が必要だとも言われますが、多くの仲間の話を聞いても確かに重大な破綻を契機に回復に向かった例は多いように感じます 。もっとも、その「底」の内容は人それぞれです。借金が1円でもできた時が底という人もいれば、離婚や自殺未遂に至って初めて底だと言う人もいます 。私の場合は、愛する家族の信頼を完全に失い、自分の無力さを痛感した瞬間こそが真の底つきでした 。そして皮肉なことに、そのどん底に沈んだからこそ「このままでは本当に全てを失ってしまう。変わらなければ」と心の底から思えたのです。

回復のきっかけ

底を突き抜けた私は、このままでは生きていけないと観念しました。しかし、何から始めれば良いのかも分からず、途方に暮れていました。そんなとき、救いの手を差し伸べてくれたのは他ならぬ妻でした。家を追い出された私でしたが、妻はなお私のことを完全には見放していなかったのです。子ども達のこともあり、せめてもの情けでときどき私の様子を見に来てくれていました。ある日、青白い顔で憔悴しきった私を見かねた妻が「一緒に専門の病院に行ってみよう」と言ってくれたのです。

実は妻は私と別居中、「ギャンブルがやめられない」「借金」というキーワードでインターネット検索を行い、同じ悩みを持つ人々の体験談を必死に調べてくれていました 。そこで偶然見つけたあるブログに「夫がギャンブル依存症と診断された」という記述があり、妻は目を開かされたと言います 。ギャンブル依存症…そのとき妻は初めて「もしかしたら夫は意志が弱いとか怠けているのではなく、病気なのではないか」と思い至ったそうです。私は正直、自分が「病気」だとは考えたこともありませんでした。ただ自分がだらしないせいで、このような惨状を招いたのだと自分を責めるばかりでした。しかし妻からそんな話を聞き、わずかに希望のようなものが芽生えたのも事実です。「治療で良くなる可能性があるのかもしれない」——藁にもすがる思いで、私は妻に連れられて心療内科の扉を叩きました。

診察室で私は初めて自分のこれまでのギャンブル状況を赤裸々に打ち明けました。震える声で借金の額や嘘を重ねてきたことを話す私に、医師は穏やかにうなずきながら耳を傾けてくれました。そして一通り話を聞き終えると、こう告げたのです。「お話から判断するに、渡辺さんは典型的なギャンブル依存症です」。

「依存症」——頭では薄々感じていた言葉を突きつけられ、正直ショックでした。医師は続けて優しく説明してくれました。「ギャンブル依存症は、アルコールや薬物の依存症と同じカテゴリーに分類される脳の病気です 。決して特殊な人だけの問題ではなく、誰もが陥りうるものなんですよ」と。 さらに、「これはご本人の意思や性格の問題ではなく、一種の精神疾患なのです。長年ギャンブルを続けたことで脳の報酬系に変化が起き、意思の力だけでは止められない状態になっています 。だからこそ、専門家の助けや周囲のサポートが必要です」と諭されました。

正直、診断直後の私はすぐにそれを受け入れられませんでした。心のどこかで「自分はそこまで酷くない」「ギャンブル依存症といえば、身ぐるみ剥がされてホームレス同然になった人のことだろう?」という偏見があったのです。実際、診断を受けた直後も私は「自分は仕事もしていたし、家もある(追い出されてはいましたが)、世間のイメージする“廃人”とは違う」などと考えていました。 しかし、それこそが誤解でした。ギャンブル依存症は見た目では判断できません。家族や仕事を失うほど深刻化して初めて発覚するケースも多いですが、裏を返せば発覚していない“隠れ依存症”の人も多数いるのです。実際、医師によれば「むしろ渡辺さんのように一見普通の生活を送りながら問題を抱えている人の方が多いんですよ」とのことでした。

医師とカウンセラーから詳しく病気について説明を受けるうちに、私は次第に「自分は意志の弱いダメ人間だからギャンブルをやめられないのではない。病的な状態に陥っていたのだ」と理解するようになりました。これは大きな転機でした。自分を過剰に責め続けていた心が、少し楽になったのを覚えています。同時に「病気ならば治療法があるはずだ」という希望も湧いてきました。

医師は私と妻に対し、治療と回復のプランを丁寧に提案してくれました。「残念ながらギャンブル依存症をピンポイントで治す薬は現時点で存在しません。しかし、薬がなくとも回復した人は大勢います。これから始まるのは薬に頼らないリハビリのようなものだと思ってください」と言われました 。具体的には、専門のカウンセリングや認知行動療法によってギャンブルに走ってしまう考え方の癖を修正し、再発を防ぐ方法を身につけること、そして自助グループへの参加を強く勧められました 。私はすぐにでも治る特効薬が欲しい思いでしたが、同時に「自分が変わるには地道な努力が必要なのだ」と腹をくくりました。

実践した回復行動

病院での初診の後、私は医師の勧めに従って依存症専門の外来プログラムに通うことになりました。週に一度のペースで通院し、カウンセラーとの個別面談とグループ療法に参加しました。カウンセリングでは、ギャンブルに走る背景にどんな心理状態やストレスがあるのかを探り、対処法を相談しました。また認知行動療法のセッションでは、ギャンブル欲求が生じたときの具体的な対処スキル(例:深呼吸や誰かに電話をして気を紛らわす、パチンコ店の前を通らない迂回ルートを探す等)を学び、衝動に飲み込まれない訓練を積みました 。同じプログラムに参加していた他の依存症患者さん達とのグループ討議も非常に役立ちました 。そこでは互いに体験を語り合い、客観的に自分を見つめ直す機会を得ました。他のメンバーから「それは依存症特有の考え方だよ」と指摘されてハッとしたり、逆に仲間の話を聞いて自分を省みたりする中で、少しずつギャンブルに囚われない新しい物の考え方が身についていきました 。医師の言う通り、まさに「自分の生き方を見つめ直す」プロセスが始まったのです 。

並行して、私は自助グループにも参加を始めました。医師から紹介されたのはギャンブラーズ・アノニマス(GA)という自助グループです。アルコール依存症の自助グループであるAA(アルコホーリクス・アノニマス)にならって1957年に創設され、世界中に広がっているグループで、日本各地にも現在200以上のミーティンググループがあります。私は退職中で平日日中も時間があったため、最初は週に2回ほど地元のGAミーティングに足を運びました。

初めてGAのミーティング会場(地域の公民館の一室でした)に入ったときは緊張でいっぱいでした。正直、そこに集う人たちに対して「自分とは違う、特別に重症な人では…」という偏見が残っていたのです。しかし実際に自己紹介して話を聞いてみると、私と同じような境遇や悩みを持つ人ばかりでした。年齢も性別も職業も様々ですが、皆が皆「ギャンブルで人生を壊しかけた経験」を持っていたのです。驚いたことに、ミーティングで語られる体験談の多くは、自分にも思い当たる内容でした。家族に嘘をついて借金を重ねた話、初めて大勝ちしたときの興奮、その後勝てなくなって追い詰められていった経緯——どれも自分のことのように感じられ、思わず何度も頷きました。

何より衝撃的だったのは、初参加の私に対してメンバーの皆がまるで旧知の友人のように温かく迎え入れてくれたことです。「今日から一緒に頑張りましょう」「一日だけやめ続ければいいんだよ」といった言葉をかけてもらい、涙が出そうになりました。同じ苦しみを知る仲間と出会えたことで、私は孤独ではないと実感しました。ギャンブルをやめ続けている先輩メンバーの体験談はとても励みになり、「自分にもこの人たちのように生き直すことができるかもしれない」と思えるようになりました。

GAではスポンサー制度といって、自分より長く賭けずにいる先輩会員が個別にサポート役についてくれる仕組みがあります。私にも50代の先輩がスポンサーにつき、連絡先を交換しました。強い誘惑に襲われたときや辛いときにはこのスポンサーに電話して話を聞いてもらいました。時には深夜に「打ちたい気持ちが止まらない」と泣きついたこともありますが、スポンサーは嫌な顔ひとつせず「大丈夫、今日一日踏ん張ればまた明日が来る」と励まし続けてくれました。そのおかげで、どうしても苦しいときも思いとどまることができました。仲間の存在は何より心強いものでした。

また、私は経済面の再建にも着手しました。弁護士に相談して債務整理を行い、利息をカットしてもらって長期分割で返済する計画を立て直しました。ギャンブルをしていた頃はお金の計算から逃げていましたが、家計簿をつけ始め、毎月いくら返済に充てて、いつ完済できるかを具体的に把握するようにしました。これもカウンセリングで教わった行動療法の一環で、現実から目を背けず向き合う訓練でした。

さらに、ギャンブル以外の楽しみや生きがいを見つける努力もしました。依存症治療のプログラムの中で「空いた時間をどう使うか」が課題として出されたのです。それまで趣味と言えばギャンブルしかなかった私は戸惑いましたが、若い頃に夢中になっていた釣りを思い出しました。早朝に起きて海辺で糸を垂らす——久しく忘れていた時間でしたが、実際にやってみると新鮮で、自然の中で心が洗われるような気持ちになりました。他にもジョギングを始めたり、子ども達と公園で遊ぶ時間を積極的に作ったりと、「ギャンブル以外のことで充実感を得る」経験を増やしていきました。そうすることで、少しずつギャンブルに対する渇望も和らいでいったように思います。

もちろん、途中で何度もギャンブル欲求に襲われました。最初の3か月ほどは特に辛かったです。パチンコ店の前を通れば足がすくみ、テレビで競馬中継が流れればチャンネルを変えずにいられない——そんな状態でした。それでも、「今日一日だけはやめてみよう」と自分に言い聞かせ、なんとか一日一日を積み重ねました。幸い、妻も子ども達も今度ばかりは本気だと理解してくれて、全面的に支えてくれました。妻は私に現金やカードを一切持たせず、買い物はすべて妻同伴にしました。金銭管理を妻に委ねたことで、物理的にもギャンブルをしたくてもできない環境を整えてもらいました。

また、読書も大きな助けになりました。自助グループの仲間から教えてもらった体験記や専門書を貪るように読みました。たとえば、同じギャンブル依存から回復し現在は支援者として活躍されている田中紀子さんという方の著書『三代目 ギャン妻の物語』は非常に参考になりました 。ご自身と夫が共にギャンブル依存に苦しんだ経験が赤裸々に綴られており、「依存症から回復するプロセスは自分の生き方を見つめ直すことだ」という言葉が胸に響きました 。他にも、依存症治療の第一人者である樋口進医師の『ギャンブル依存症から抜け出す本』では病気としてのメカニズムや具体的な対策が詳しく解説されており、家族と一緒に読みながら知識を深めました。そうした書籍や体験談を読むことで「自分だけが特別にダメなわけではない」と理解でき、心の支えになりました。

このように、多方面からリハビリに取り組んだ結果、私は徐々にギャンブルなしで過ごせる日常を取り戻しつつありました。借金も少しずつ減っていき、何より「今日は賭けなかった」という事実が自信となって積み重なっていきました。

スリップと乗り越え

しかし、回復の道は決して一直線ではありませんでした。断ギャンブルを続けて半年ほど経った頃、私は一度スリップ(再燃)を経験しています。あれは忘れもしない夏の終わりのことでした。勤め始めた職場にも慣れ、借金返済も順調に続いていた矢先、私はある油断から再びギャンブルの罠に落ちてしまったのです。

その日は仕事帰りにたまたま旧友と再会し、居酒屋で飲むことになりました。談笑するうちに話題は昔よく一緒に行ったパチンコの話に…。友人は冗談半分に「ちょっとだけ今から打ってく?」と誘ってきました。私は「いや、俺はもうやめたんだ」と断りましたが、内心では久しく忘れていた高揚感が芽生えているのを感じていました。店を出て別れた後も、胸の鼓動が早まり落ち着きません。気がつくと足は自宅とは反対方向に向かっていました。そう、飲み屋街の近くにあるパチンコ店のネオンに引き寄せられていたのです。

「今日だけなら…今回だけ少しだけなら…」頭の中で誰かが囁きます。私はその誘惑に負けてしまいました。財布には生活費として妻から渡されていた数万円が入っていました。そのお金には手を付けまいと決めていたのに、酒の勢いも相まって判断が鈍っていたのだと思います。私はふらふらと煌々と光るパチンコ店に入り、席に腰掛けて玉を借りていました。

最初は少しのつもりが、久々のギャンブルに興奮して深追いしてしまいました。結局その夜は5万円もの大金を失い、我に返ったときには冷たい汗がどっと噴き出しました。「自分は何をやっているんだ!」強烈な自己嫌悪と後悔に襲われ、その場で泣き崩れそうになりました。勝っても負けても帰るつもりが、結局取り返そうとして熱くなり、底を尽きかけたところでようやく正気に戻ったのです。

家に帰る道中、頭の中は真っ白でした。妻に何と説明しよう、このままではまた信頼を失ってしまう——そう思うと怖くてたまりませんでした。帰宅後、私はスリップしたことを言い出せないまま布団に潜り込みました。しかし胸の動悸は収まらず、罪悪感で眠れません。翌朝、青ざめた顔の私を見て妻が心配そうに尋ねました。「どうしたの、大丈夫?」——私は堰を切ったように「ごめん、実は昨日…」と全てを打ち明けました。また嘘をつけば以前の自分に逆戻りだ、と瞬時に思ったからです。

妻はしばらく黙っていましたが、やがてポツリと「そう…」とつぶやきました。失望したに違いありません。それでも彼女は「また一緒に頑張ろう。先生にも正直に話そう」と言ってくれました。私はなんて幸運なのだろうと胸が熱くなりました。同時に「二度と裏切らない。この失敗を無駄にしない」と固く心に誓いました。

後日、主治医とカウンセラーにもスリップの報告をしました。叱責されるかと身構えていましたが、意外にも「よく正直に話してくれましたね。それは勇気のいることでしたでしょう」と受け止めてもらえました。医師は続けて「スリップは回復過程で珍しいことではありません。むしろ、一度もスリップせずにギャンブルをやめ続けられる人の方が少ないんですよ」と教えてくれました 。実際、ある研究では依存症の再発率は40~60%と報告されており、これは喘息や高血圧などの慢性疾患における再発率と同程度です 。決して「意志が弱い人だけが再発する」わけではなく、誰にでも起こりうることなのだと理解しました。

重要なのは、スリップをきっかけにズルズルと再発状態に陥らないことだといいます 。私は幸い、あの日一日だけで踏みとどまることができました。医師や仲間からは「すぐに止め直したのだから立派だ」「スリップは失敗ではなく学びのチャンスだよ」と励まされました 。今回自分がどんな状況で衝動に負けたのか、次に同じ誘惑が来たらどう対処できるか——スリップの要因と再発防止策を徹底的に分析するよう助言されました 。

私はカウンセラーと一緒に、あの日の行動と心の動きを振り返りました。浮かび上がってきたのは、「油断」と「刺激」というキーワードです。回復が順調に進み少し自信が出てきた矢先、旧友との再会という出来事で気が緩み、アルコールで理性が麻痺した状態で偶然パチンコ店の誘惑に晒されてしまった——この組み合わせが非常に危険だったのです。以来私は、断酒も決意しました。もともとお酒は好きでしたが、飲むと判断が鈍ることを痛感したからです。また、以前通った店の前を通らないよう帰宅ルートも変え、旧友にも事情を話してギャンブルの誘いはしないでくれとお願いしました。

そして何より、自助グループへの参加頻度を増やしました。スリップ前、私は調子が良くなるにつれGAミーティングの出席を月に1回程度に減らしてしまっていました。これも慢心の表れでした。また仲間たちの力を借りよう——そう考えた私は、それから半年ほどは毎週欠かさずミーティングに通い、正直に自分のスリップ体験を話しました。すると多くの先輩から「実は自分も昔スリップしたことがある」と打ち明けられ驚きました。皆それを乗り越えて今があるのだと知り、勇気づけられました。そして「回復を最優先に考え続ける限り、今日一日なら絶対やめていられる」と改めて確認し直したのです。

こうして私はスリップという貴重な教訓を得て、さらに強い決意で断ギャンブルの道を歩み続けることができました。幸いその後は一度もスリップすることなく今日まで来ています。しかし、決してあの経験を忘れることはありません。「自分はいつでもまた穴に落ちる可能性がある」——その緊張感を心に留め続けることが、今の私には再発予防策になっています。

社会復帰のプロセス

ギャンブルを断って1年が過ぎた頃、私は少しずつ社会生活を立て直していきました。最も大きな変化は、再就職です。退職後しばらく療養に専念していましたが、経済的にもいつまでも無職でいるわけにはいきません。借金返済のためにも収入が必要でした。主治医と相談の上、「働きながらでも治療は続けられる」と判断し、就職活動を開始しました。

最初はブランクや年齢もあって苦労しましたが、ハローワークの担当者にも事情をぼかしつつ相談し、運良く理解のある中小企業に再就職することができました。新しい職場では、過去の失敗を繰り返さぬよう生活リズムを整え、真面目に勤務しました。仕事終わりに暇を持て余すことがないよう、勤務後はすぐに自助グループやカウンセリングに行くか、まっすぐ家に帰るよう自分にルールを課しました。「疲れている日は寄り道せず真っ直ぐ帰宅」——当たり前のことですが、以前の私にはそれができませんでした。今はその当たり前の行動を着実に積み重ねることを自分に課しています。

家族との関係も、時間をかけて修復していきました。別居していた妻とは、私が1年間ギャンブルを絶ったのを機に、改めて話し合いの場を持ちました。妻の心の傷は深く、信頼を取り戻すのは簡単ではありません。それでも私は諦めず、自分の気持ちやこれからの誓いを伝え、妻の気持ちもじっくり聞きました。幸い、妻は「もう一度だけチャンスを与える」と言ってくれ、子ども達と共に戻ってきてくれました。そのときの嬉しさは言葉になりませんでした。同時に、「今度こそ家族を大切にし抜く」と強く心に誓いました。

家族で夫婦カウンセリングにも通いました。第三者のファシリテーションのもと、妻が感じていた怒りや不安、私が感じていた負い目などを率直に言葉にしていきました。ときには厳しい指摘も受けましたが、そうしたプロセスを経て少しずつ夫婦の絆を修復できたように思います。子ども達には、父親として取り戻したいことが山ほどありました。息子の幼稚園の運動会、娘の小学校の授業参観——以前は借金取りから逃げることばかり考えて参加できなかった行事にも積極的に顔を出しました。初めはよそよそしかった子ども達も、毎日お風呂に入れたり絵本を読んだりする中で、次第に笑顔を見せてくれるようになりました。「家族の信頼を取り戻すには長い時間と努力が必要」——それは重々承知していますが、一歩ずつ進めば必ず関係は良くなると信じています。

借金返済についても、地道に続けました。再就職後は収入の中から返済額を増やし、節約にも努めました。ギャンブルをやめたことで無駄な出費が無くなり、収支はむしろ健全になりました。毎月定額を返済し続け、3年目で遂に全ての負債を完済することができました。その報告を妻にしたとき、二人で抱き合って涙を流したのを覚えています。金銭面で迷惑をかけた親族や友人にも少しずつ頭を下げて回りました。中にはまだ許してくれない人もいます。それでも、いつか本当に信頼を回復できるよう、誠意を示し続けるしかないと思っています。

社会復帰のプロセスで感じたのは、「普通の生活」を営むことの尊さです。毎朝決まった時間に起き、働き、家族と食卓を囲み、平穏に夜眠る——かつての私には退屈に思えたそんな日常が、今ではかけがえのない宝物です。ギャンブルに明け暮れていた頃、私は人生の美しい瞬間をたくさん失っていました。季節の移ろいに気づく余裕もなく、子どもの成長にもまともに向き合えず、ただひたすら一日の大半をパチンコ屋の中で浪費していたのです。それを思えば、今こうして社会の一員として働き、家族と穏やかに過ごせていることが奇跡のようにも感じられます。

もちろん、社会復帰は私一人の力で成し遂げられたものではありません。医療関係者、自助グループの仲間、そして家族——多くの支えがあってこそ現在の私があります。同じ問題を抱える仲間と定期的に集まり続け、互いに内省する機会を持ち続けることが最も大切だと痛感しています 。今でも私は月に2回はGAのミーティングに参加し、新しく参加したメンバーの体験談に耳を傾けています。数年前の自分を見ているようで胸が痛みますが、同時に自分が歩んできた道を再確認する機会にもなっています。「仲間の力なくして今の自分はない」——これが率直な実感です。

社会復帰とは、単に仕事に就き経済的に安定することだけではなく、社会や他者との関わりを健全に再構築することだと思います。かつて身勝手な行動で傷つけた家族や友人との関係を修復し、自分の居場所を社会の中に取り戻す作業でした。時間はかかりましたが、一つひとつ確実に問題を解決していくことで、少しずつ自信も戻ってきました。今では「自分も誰かの役に立てるかもしれない」と思えるまでになり、地元の依存症啓発イベントで体験談を話す機会や、後輩のピア(仲間)カウンセリングのお手伝いをさせてもらうこともあります。かつては想像もしなかった前向きな人生が再び送れるようになったのです。

現在の生活と心境

あれほどギャンブルに人生を支配されていた私ですが、ありがたいことにこの3年間一度も賭け事をすることなく過ごせています。新しい職場にも慣れ、家族との穏やかな日常が戻りました。休日には子どもと釣りやキャンプに出かけ、平日の夜は妻とテレビドラマを楽しんだりと、何気ない家庭生活を満喫しています。そんな穏やかな時間を噛みしめるたびに、「生きていて良かった」「賭けずに今日一日を終えられて良かった」と心から思います。

依存症からの回復過程で得た仲間も、今の私の財産です。ともに涙を流し笑い合ったGAの仲間とは、今でも連絡を取り合っています。同じ苦しみを乗り越えた者同士、言葉にしなくても通じ合える絆があります。悩みがあればすぐ電話し、嬉しいことがあれば真っ先に報告する——そんな第二の家族のような存在です。私は今、その仲間たちと「これからも賭けない人生を続けていこう」と励まし合いながら、一日一日を大切に生きています。

とはいえ、決して「自分はもう治った」などとは思っていません。ギャンブル依存症は慢性の病であり、完治という概念はないとされています。大切なのは寛解(ギャンブルのない安定した状態)を維持し続けることです。例えば、今でも宝くじの当選ニュースやカジノの話題などを耳にすると、一瞬ドキッとしてしまう自分がいます。完全に誘惑がゼロになるわけではありません。しかし、そうした心のさざ波をスルーする術を私は身につけました。脳裏にギャンブルの影がよぎったら、「自分はまた同じ過ちを繰り返したいのか?」と自問します。家族の笑顔とこれまでの努力を思い出し、静かにやり過ごすのです。幸い、衝動の波は以前に比べれば遥かに小さく、すぐに消えていきます。

現在の私は、ギャンブルに費やしていた時間とお金を有意義なことに使うよう心がけています。家族旅行のために貯金をしたり、新しい趣味として家庭菜園を始めたりもしました。小さなプランターで育てたトマトが赤く実ったときは、本当に嬉しかったですね。ギャンブルで大金を得たときの歪んだ高揚感ではなく、こうした健全な喜びこそが人生を豊かにしてくれるのだと実感できます。

また、かつての自分の経験を活かして、微力ながら同じ問題に苦しむ人の手助けもしたいと考えています。最近では当事者によるピアサポート活動にも参加し、相談会で体験を話したり、これから回復を目指す人の話に耳を傾けたりしています。私のようなどこの馬の骨とも分からない人間の話でも、「勇気をもらえました」と言ってくれる人がいます。そう言われると、過去の過ちは決して無駄ではなかったのだと思えます。もちろん、依存症だった過去が消えるわけではありませんが、その過去を別の誰かの役に立てることができるなら、こんなに嬉しいことはありません。

「依存症になる前の自分に戻りたい」——かつてはそう思っていました。しかし今は違います。私はこの病気を通じて、一度地獄を見ました。その経験から多くを学び、自分を見つめ直し、生き方を根本から変えることができました。むしろ「依存症になる前より、今の自分の方が好きだ」と言えるかもしれません。それほどまでに、回復のプロセスは私の人生観を変えてくれました。かつて何よりも優先していたギャンブルは、今では私にとって何の価値もありません。それよりも、家族との時間、仲間との絆、そして健全な精神で迎える今日一日こそが尊いのです。

読者へのメッセージ

長い体験談を読んでいただきありがとうございます。最後に、私から同じ悩みを抱える皆さんに伝えたいことがあります。

まず第一に、ギャンブル依存症は回復できます。 一度依存症になってしまったらもう二度と良くならない…そんなことは決してありません。それは多くの人が抱きがちな誤解です 。私自身、「もう人生は終わりだ」と絶望していましたが、今こうして確かに回復の途上にいます。依存症は確かに簡単には治らない慢性の病気ではありますが、適切な支援と本人の努力によって必ず回復に向かいます。どうか希望を捨てないでください。

次に、「依存症は意志の弱さではなく病気である」ということを理解してください 。これは当事者本人にも、周囲のご家族にも強調したい点です。依存症になると脳の機能に変化が起こり、本人の意思や性格だけではコントロールできない状態になります 。ですから、恥じることはありませんし、一人で治そうと無理をする必要もありません。おかしいと感じたら、ぜひ専門家に相談してください。各都道府県には依存症専門医療機関や精神保健福祉センターがあり、専門的な治療プログラムや相談を受けることができます 。もし何科を受診すればいいか分からなければ、精神科や心療内科に問い合わせてみてください。最近は各地の保健所や市町村でも、ギャンブル依存症相談窓口を設置しているところが増えています。恥ずかしいことでは決してありません。一人で抱え込まず、どうか勇気を出して扉を叩いてみてください。

「底つき」が来るまで待つ必要はないということも言いたいです。私の場合は家族も仕事も失ってようやく回復への一歩を踏み出しました。しかし本来であれば、そこまで行く前に手を打つに越したことはありません。中には借金が数万円できただけで「自分は依存症かもしれない」と気づき、早期に回復できる人もいます 。状況が深刻化すればするほど、立て直しには時間も労力もかかります。「もしかして…」と少しでも思った今この瞬間が、実は回復へのスタートラインなのです 。ご家族の方も、本人が底を突くまで見放すしかないと思い詰めないでください。声をかけたり情報提供をしたり、できるサポートはあります。私の妻はそれで救ってくれました。

再発やスリップについてもお伝えしておきます。依存症は再発がつきもの…確かに途中でスリップする人は多いです。しかし、それは決して珍しいことでもなければ、ましてや人格の弱さを意味するものでもありません 。依存症の再発率は40~60%程度とされ、他の慢性疾患と同程度です 。大切なのは、たとえスリップしてしまっても絶対に諦めないことです 。一度の過ちで「もうダメだ」と自暴自棄になる必要はありません。私もスリップを経験しましたが、そこから学びを得て立ち直ることができました。 スリップはそれまで積み上げてきた努力を帳消しにするものではなく、今後さらに良くなるための貴重な教訓を与えてくれます 。どうか自分を責めすぎず、また今日から一緒に断ギャンブルを続けましょう。

回復のための手段は一つではありません。ぜひ利用できるものは何でも利用してください。私が効果を実感した自助グループ(GA)は、同じ悩みを持つ当事者同士が匿名で集まり、経験や思いを語り合う場です。同じ問題を抱える仲間からのサポートは本当に大きな力になります。各地で定期的にミーティングが開催されていますので、興味があればGAの公式サイト等で最寄りの会場を調べてみてください。初めは勇気がいるかもしれませんが、皆さん温かく迎えてくれるはずです。また、病院での専門治療(個人カウンセリング、グループ療法、認知行動療法など)も有効です 。必要に応じて家族療法や薬物療法(うつ病や不安があればその治療)が行われる場合もあります 。公的医療機関では経済的な相談にも乗ってもらえることがあります。さらに、私がそうだったように、実際に回復した人の体験記や自伝的な本を読んで知識を深めるのも良いでしょう。田中紀子さんの著書 や樋口進医師の解説書は、私にとって目からウロコの内容でした。最近では依存症を題材にしたノンフィクション映画やドキュメンタリー番組なども公開されています。そうした作品を通じて客観的に自分の問題を見つめるのも、有効な手段だと思います。周囲の理解を得るために家族に読んでもらうのも良いでしょう。

最後になりますが、あなたは一人ではありません。今この瞬間も、日本中で多くの人がギャンブル依存症からの回復に挑んでいます。私もその一人ですし、私の仲間にも元ギャンブル依存症者がたくさんいます。お互いに支え合いながら、今日一日、また今日一日と賭けない日を積み重ねていきましょう。気が遠くなるかもしれませんが、一日一日ならきっとできます。「今日はやめる」、それを毎日続ければ、必ず明るい未来が開けてきます。

私は人生のどん底でかすかな光を見出し、そこから少しずつ這い上がってきました。道のりは決して平坦ではありませんでしたが、その過程で本当に大切なものを知りました。この体験談が、今苦しんでいる誰かの光となり、「自分ももう一度人生を取り戻せるかもしれない」と思っていただけたなら、これ以上の喜びはありません。どうか諦めないでください。あなたにも、必ずできます。

一緒に回復の道を歩んでいきましょう。心から応援しています。

参考文献

  1. 田辺 等 (2024) 「田辺等先生に『ギャンブル依存症』を訊く」公益社団法人 日本精神神経学会(ギャンブル依存症の定義と病態の解説)
  2. 横浜市 (2022) 「依存症って知っていますか?(基礎知識)」横浜市公式ウェブサイト(依存症の回復可能性と再発率に関する解説)
  3. 国立病院機構久里浜医療センター 依存症対策全国センター (2020) 「もしもスリップしてしまったら」(スリップの位置づけと対処法に関するガイド)
  4. soar編集部 (2019) 「私も夫もギャンブル依存症に苦しんだ。でも今は、とても幸せに生きています」(田中紀子さんインタビュー)(ギャンブル依存当事者の体験談と回復の過程)
  5. ギャンブル依存症R (2022) 「必ず底つきをしなければ回復しないのか?」(ブログ記事)(底つき体験の重要性と個人差について述べた考察)

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