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借金を返すためにギャンブルをする依存者の思考の罠と抜け出す視点

はじめに:負債とギャンブルの悪循環

借金を抱え、「ギャンブルで一発逆転して返済しよう」と考えたことはありませんか?追い詰められた状況では、それが唯一の打開策に思えるかもしれません。しかし、その考え方には危険な思考の罠が潜んでいます。ギャンブル依存症の人は、借金返済のためにさらにギャンブルにのめり込み、結果的に負債が膨らむ悪循環に陥りやすいことが知られています1。本記事では、ギャンブルで借金を取り返そうとする人がハマりがちな代表的な思考パターン(「負けを取り返せる」「今やめたら負けになる」など)の心理的トラップについて、科学的知見に基づき解説します。そして、その罠から抜け出すための視点と具体的な対策について考えてみましょう。

ケース例:負けを取り返そうとして泥沼化した経験

例えば、30代の男性Aさんのケースです。Aさんはパチンコで作った200万円の借金返済に追われ、「次こそ大当たりを引いて借金を帳消しにできるはずだ」と信じてギャンブルを続けていました。ある日、給料日直後の資金で勝負に出ましたが、思うように当たらず短時間で10万円を失います。引き際だと頭では分かっていながら、「ここでやめたら10万円の負けが確定してしまう。今やめるわけにはいかない」と感じ、消費者金融から追加でお金を借りてさらに突っ込んでしまいました。その結果、一時的に小さな当たりを引いて「やっぱり続けて良かった!」と興奮するものの、結局そのお金もすぐに飲み込まれ、気づけば借金はさらに増えてしまったのです。翌日、彼は激しい後悔と自己嫌悪に襲われましたが、同時に「負けたままでは終われない、いつか取り戻せるはずだ」という思いが消えず、また借金をしてギャンブルに向かってしまいました…。このように、借金返済のためのギャンブルがかえって状況を悪化させる悪循環に陥っていたのです。

「負けを取り返せる」という幻想が生まれる理由

借金を負ったギャンブル依存者に特有の思考として、「次こそ勝てる」「もう少し粘れば負けを取り返せるはずだ」という強い信念があります。この考え方は専門的にはギャンブラーの錯誤とも呼ばれ、負けが続くほど「そろそろ勝つ番が来る」と誤信する心理傾向です23。実際には各ゲームの結果は独立しており、過去の連敗が次の勝利を保証することはありません。それでもこの幻想が生まれてしまうのは、人間の認知にいくつかの偏りがあるためです。

まず、選択的記憶の影響があります。人は大勝ちした記憶や「運良く借金を帳消しにできた」ような成功体験を強く覚えている一方で、数えきれない負けの記憶は曖昧になりがちです。このため、「以前に取り返せたことがあるのだから今回もきっと…」と都合良く考えてしまいます3。また、コントロールの錯覚も一因です。サイコロの出目やパチンコ玉の動きなど本来は運任せの結果に対して、「自分の技術や勘で流れを変えられる」と信じ込むことがあります3。例えば「あの台はそろそろ出そうだ」「今日はツイているから勝てる」といった根拠のない自信が、それに当てはまります。こうした認知の歪み(思考のクセ)は、ギャンブル依存者によく見られるものです34。

さらに、ギャンブル特有の報酬パターンも心理を惑わせます。代表的なのが「ニアミス(Near-miss)」効果です。あと一歩で大当たりだったのに惜しくも外れる——例えばスロットであと一つでジャックポットというハズレ——このようなニアミスは完全に外れた時よりも強く「次こそいける」という期待を煽ります。脳科学の研究でも、ニアミスの時には実際には負けているにもかかわらず、脳の報酬系(快感を感じる部位)が大当たりした時と似た反応を示し、強い続行意欲が生まれることが確認されています5。つまり、「もう少しで勝てそうだ」という感覚自体が脳内報酬となり、客観的には不利な状況でもギャンブルを続けたくなるように人を駆り立ててしまうのです。

「今やめたら負けになる」という心理的トラップ

「ここでやめたら損を確定させることになる。だから続けなければ」という思考も、借金返済のためギャンブルを続行してしまう大きな要因です。この心理の背景には、人間の持つ損失回避バイアスとサンクコスト(埋没費用)の誤謬があります。損失回避とは、人は利益を得ることよりも損失を避けることに強く執着する傾向のことです6。有名な行動経済学の研究では、同じ金額であっても「得る喜び」より「失う苦痛」の方が2倍以上大きく感じられることが示されています6。ギャンブルで負けが込んで借金まで抱えた状況では、その大きな損失の痛みから何とか逃れようとする心理が働きます。「今やめれば◯万円の負けで終わってしまう」という現実を受け入れ難く、「失ったお金をこのままにするくらいなら、リスクを取ってでも取り返したい」と考えてしまうのです。実際、負けている時ほど人はリスク選好的(多少危険でも逆転を狙う)な判断をしやすくなることが報告されています6。これは、プロスペクト理論と呼ばれる心理モデルでも説明され、損失局面では人は合理的でなく大胆な賭けに出やすいとされています6。

また、サンクコストの誤謬、いわゆる「コンコルド効果」も深みにハマる要因です。これは既に投じてしまったお金や時間といったコストを「無駄にしたくない」という思いから、損失を取り戻す見込みが低くても追加投資や行動を続けてしまう現象です7。ギャンブルの場合、負け続けて資金を浪費しているにもかかわらず、「ここでやめたら今までの努力(投資)が全て無駄になる」「もうこれ以上失うものはないのだから、続けて取り返さなければ損だ」と感じてしまいます。実際のところ、その「努力」は既に取り返しのつかない埋没費用なのですが、人は合理的に損切りすることが難しいのです。ギャンブル依存の脳を調べた研究では、こうしたサンクコスト状況で意思決定をする際に、健常者に比べて前頭前野(理性的な判断を司る脳部位)の活動が低下していることも示されています8。この結果は、依存者は損切りすべき場面でも脳の制御が利きにくく、理性的なブレーキが弱まっている可能性を示唆しています。つまり「ここでやめたら負け」という考えは、損失への強い恐怖と脳の制御機能低下によって生じる心理的な罠なのです。

脳科学から見たギャンブル依存のからくり

ギャンブル依存に陥るとき、私たちの脳内では何が起きているのでしょうか。そのメカニズムを知ることは、この問題が決して「意思の弱さ」だけでなく、生物学的な要因によっても強化されていることを理解する助けになります。

まず、ギャンブルは脳の報酬系を強烈に刺激します。勝った時の高揚感や興奮は、脳内でドーパミンという神経伝達物質の放出を促し、強い快感として刻まれます。とりわけスロットマシンやパチンコのように不確実なタイミングで報酬(当たり)が得られる仕組みは、動物実験でも最も依存性の高い「変動比率スケジュール」として知られています。予測できないご褒美ほどドーパミンが多く放出され、人はそれに強く惹きつけられてしまうのです。この点でギャンブルは脳にとって麻薬性の刺激と言えます。実際、脳画像研究により、ギャンブルによる勝利やその予感は薬物摂取時と同じ脳の快感中枢(腹側線条体)を活性化し、常習者の脳活動パターンにも類似点が見られることが報告されています4。ギャンブル障害が近年になって「行動嗜癖(行動のアディクション)」として薬物中毒と同じカテゴリに分類されたのも、こうした神経科学的共通点があるためです。

一方で、脳の前頭前野など意思決定や衝動抑制を担う領域の働きが低下してしまうことも分かっています。衝動性が高い人ほどギャンブルにのめり込みやすい傾向がありますが、その背景には感情の制御や計画性を司る前頭葉のネットワーク機能の弱さがあると考えられます4。ギャンブル依存状態では、このブレーキ役である脳機能がうまく働かず、目先の快楽や救済に飛びついてしまいやすくなるのです。また前述のニアミス時の脳反応や、負けが込んだ際の扁桃体・島皮質といった感情に関わる領域の過活動も、理性より感情が優勢になって「冷静な判断ができなくなる」状態を生み出します。要するに、ギャンブル依存とは「理性よりも報酬と感情が暴走している脳状態」と言えるでしょう。こうした脳の反応が絡んでいるために、「負けを取り返したい」「今やめられない」といった考えが本人にとって非常に説得力を持って感じられてしまうのです。

ギャンブル依存の悪循環サイクル

上の図は、ギャンブル依存者が陥りやすい思考と行動のフィードバック・ループを示したものです。最初はストレスや退屈、不安など何かしらのきっかけ(トリガー)があり、気晴らしやお金目当てでギャンブルに手を出すところからサイクルが始まります。プレイ中は一時的に興奮や高揚感、安心感を得られるため(図中「快感・すっきり感・高揚感」)、嫌な感情は紛れます。しかし負けが続いて借金や対人トラブルといった現実的なダメージが蓄積すると、ギャンブル後には強い後悔や自己嫌悪に襲われます。この時点で本来は「もうやめよう」と反省するはずですが、依存が進むと後悔や反省の気持ちがだんだん薄れてしまいます。そして時間が経つとまた「お金が必要だ」「刺激がほしい」「ギャンブルの良い記憶」だけを都合良く思い出し、抑えきれないギャンブル欲求が高まります。こうして再びストレスなどを言い訳にギャンブルをしてしまう――このループが繰り返されるうちに、負けを取り返そうとしてさらに借金を重ねる泥沼にはまっていくのです。

思考の罠に気づき抜け出すための視点と対策

ギャンブルで負った負債を取り返そうとする心理の裏には、上述したように様々な認知の歪みと脳のクセが関与しています。それらの罠に気づき、抜け出すためには次のような視点と対策が有効です。

  1. 歪んだ思考パターンを自覚する: まずは自分が「負けを取り返せるはず」「今やめたら損だ」といった考えにとらわれていることを自覚しましょう。それらはギャンブル依存症によく見られる典型的な思考のクセであり、錯覚だと理解することが第一歩です。「これはギャンブラーの錯誤だ」「また脳が都合よく考えているだけだ」とラベル付けしてみてください。自分の思考を客観視することで、感情に流されにくくなります。
  2. 「損切り=敗北」ではなく「損切り=勝利への転換」と捉える: 「今やめたら負けを認めることになる」という考え方を、「今やめればそれ以上の損失を防げる」「ここで損切りすること自体が賢明な勝ちである」という発想に転換してみましょう。ギャンブルでの負けを一旦受け入れて確定させることは、とても勇気が要ります。しかし、それ以上の被害を出さないための英断だと捉えるのです。例えば「これ以上お金を失わなかった自分は偉い」「ここで止めることが本当の勝ちだ」と自分に言い聞かせましょう。損失へのフォーカスを減らし、ストップできたこと自体を前向きに評価するのです。
  3. 確率と期待値を直視する: 冷静な時に、改めてギャンブルの勝率や期待値について計算してみてください。多くのギャンブルは「やればやるほど負けるように設計されている」(控除率が存在する)ため、負債を取り返そうと賭け額を増やすほど長期的には損をします5。例えばパチンコの大当たり確率やスロットの設定、公営競技の控除率など客観的な数字を確認し、「続ければ取り返せるどころか、むしろマイナスが拡大する可能性が高い」ことを論理的に理解しましょう。数字に基づいて考える習慣は、衝動的な判断を抑える助けになります。
  4. 借金問題をギャンブル以外の方法で解決する: 借金返済をギャンブルで賄おうとするのは根本的に危険です。専門の債務相談(弁護士・司法書士による債務整理や自治体の相談窓口)や、家族への支援依頼、収支の見直しによる返済計画の立て直しなど、ギャンブル以外の現実的な解決策に目を向けましょう。一時的な救いをギャンブルに求めるのではなく、地道でも確実な対処を取ることで状況を好転させることができます。返済のためにさらに借金を重ねてギャンブル資金にするのは厳禁です。
  5. 第三者のサポートを得る: 自分一人でこの思考のループを断ち切るのが難しい場合、信頼できる第三者に助けてもらいましょう。ギャンブル依存症の自助グループ(ギャンブラーズアノニマスなど)に参加し体験談を共有する、専門のカウンセラーや医療機関に相談するなどです。第三者に状況を話すことで、自分の考えのおかしさに気づけたり、客観的なアドバイスをもらえたりします。また、金銭管理を一時的に任せてしまうのも有効です。自分では「もうしない」と思っていても、いざ衝動に駆られると理性が利かなくなるのが依存症です。他者の手を借りて環境を整えることは決して恥ではなく、回復への賢明な戦略です。
  6. 感情の対処法を身につける: 不安やストレス、退屈感などから逃れる手段としてギャンブルに走っていた場合、その代わりになる健全な対処法を見つけましょう。運動や趣味、友人との交流、リラクゼーション法など、賭け事以外で気分転換や興奮を得られる活動を試してみてください。特にストレス発散が目的になっている人は、日頃からストレスを溜めすぎない工夫やリラクゼーションの練習が役立ちます。また、衝動が湧いてもすぐ行動に移さずに「 urgesurfing(波に乗るように衝動をやり過ごす)」スキルを試してみるのも有効です。ギャンブル欲求は永遠には続かず、たとえ強烈でも時間とともにピークを越えて収まっていく一時的な波に過ぎません。その波を深呼吸や別の活動で乗り切れば、後で冷静さを取り戻せます。

おわりに:罠から抜け出す勇気

借金を返すためにギャンブルを続けるという思考の罠は、当事者にとって非常に強力で現実味を帯びて感じられるものです。しかし、本記事で見てきたように、それは心理的な錯覚と脳の偏った反応によって生み出された危険な蜃気楼です。負債という現実から目を背けたい気持ちは理解できますが、ギャンブルはその解決策ではなく、さらに問題を深刻化させる落とし穴であることを忘れないでください。

大切なのは、自分を責めすぎずに「脳がそう感じさせているだけだ」と認識し、冷静な視点を取り戻すことです。損失を受け入れる勇気、そして新たな行動を選択する勇気を持ちましょう。最初の一歩は苦しいかもしれませんが、その一歩によって負のループから抜け出す道が開けます。専門家の助けや周囲のサポートを借りることも恐れず、健全な解決策に目を向けてください。借金を清算し人生を立て直す本当の近道は、ギャンブルという名の蜃気楼を追いかけることではなく、その幻想から覚めることなのです。


参考文献

  1. American Psychiatric Association. (2013). Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders (5th ed.). Washington, DC: APA.
  2. 認知行動療法カウンセリングセンター広島. (2025). 広島でギャンブル・投資依存へのカウンセリング.
  3. Toneatto, T. (1999). Cognitive psychopathology of problem gamblingSubstance Use & Misuse, 34(11), 1593–1604.
  4. Hodgins, D. C., Stea, J. N., & Grant, J. E. (2011). Gambling disordersThe Lancet, 378(9806), 1874–1884.
  5. Lawrence, A. J., Astley-Jones, F., & Clark, L. (2009). Gambling near-misses enhance motivation to gamble and recruit win-related brain circuitryNeuron, 61(3), 481–490.
  6. Kahneman, D., & Tversky, A. (1979). Prospect theory: An analysis of decision under riskEconometrica, 47(2), 263–291.
  7. Arkes, H. R., & Blumer, C. (1985). The psychology of sunk costOrganizational Behavior and Human Decision Processes, 35(1), 124–140.
  8. Fujino, J., Kawada, R., Tsurumi, K., et al. (2018). An fMRI study of decision-making under sunk costs in gambling disorderEuropean Neuropsychopharmacology, 28(12), 1371–1381.

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